豪華絢爛なミュージカル! 痛快無比な笑いとアクション! “スーパースター”ラジニカーントの圧倒的魅力と存在感! 人気女優ミーナの奇跡の美貌! 今から20年前、映画の常識を遥かに超えた面白さで日本中をハッピーで包み、口コミが口コミを呼び、老若男女を巻き込んで空前のインド映画ブームを起こした奇跡の極楽ムービー『ムトゥ 踊るマハラジャ』。日本で公開されたインド映画史上最大のヒット作として、今なおインド映画の代名詞となっている伝説の映画が、4K&5.1chデジタルリマスターによる極上の映像と音でスクリーンに蘇ります! 
 日本での公開から20周年を記念し、インドでオリジナル・ネガから4Kスキャンと修復作業を行い、『スラムドッグ$ミリオネア』でアカデミー賞作曲賞を受賞するなど国際的な活躍も目覚しい本作の音楽監督A.R.ラフマーンのスタジオに保管されていた6チャンネルのオリジナル・ステレオ音源をもとに、ラフマーンの監修を得て5.1chデジタル・リミックスを実施。驚くほど新しく、もっと凄く! もっと楽しい!『ムトゥ 踊るマハラジャ』が帰ってきます!!
 主演はもちろん、南インドの英雄にして“スーパースター”の称号を持つインド映画界の伝説ラジニカーント。ヒロインには南インド映画界のトップヒロインとして長く君臨し、現在はで大人気のチャイルド・スター、ベイビー・ナイニカーの母としても知られるミーナ。大地主ラージャーには『マガディーラ 勇者転生』でも活躍する南インド映画界の大ベテラン、サラット・バーブ。監督は『パダヤッパ! いつでも俺はマジだぜ』(99)、『Lingaa リンガー』(14)でもラジニカーントと組んでいるタミル映画界のヒットメイカー、K.S.ラヴィクマール。
神様、すべての人々に災難がふりかからず、
いつもすこやかで幸福な日々が送れますようにお守りください。
 タミルナードゥ州の大地主ラージャーの屋敷で働くムトゥは、ラージャー専属の執事にして馬車の御者兼ボディーガード。ラージャーは芝居を見るのが大好きで、ある日旅回り劇団の女優ランガに一目ぼれしてしまう。あるとき、地元のヤクザ者たちが劇団に因縁をつけ舞台に乱入する。ラージャーは、ムトゥにランガを連れて馬車でその場を脱出するように命じ、ムトゥはそれに従った。激しい馬車チェイスが続き、ムトゥは向かい来る敵を鮮やかに倒していった。やがて、ムトゥとランガは州を越え、知らない土地に足を踏み入れてしまう。旅回りをしているランガはそこがケーララ州だということを知っていてマラヤーラム語もできたが、いたずら心から、村人に道を聞こうとしていたムトゥにまったく違う言葉を教えてしまう。その土地の言葉で「キスして!」と村人たちに聞きまくったムトゥは、捕らえられリンチされそうになるが、間一髪ランガが助け出す。ムトゥは自分をからかったランガに、怒りと情熱を込めてキスをし、2人は激しく恋におちてしまう。 警官でもある義兄に姉を殺され、逃げるようにして劇団員となったランガの境遇を知ったムトゥは、彼女が屋敷で働けるようラージャーに頼み込む。だが、それを聞いたラージャーは、ランガが自分の求愛を受けてくれたと勘違いし、舞い上がるのだった。
 一方、屋敷ではラージャーの伯父アンバラッタールによる屋敷の乗っ取り計画が進んでいた。アンバラッタールの息の掛かった使用人カーリは、誠実で腕の立つムトゥを追い出すため、ムトゥがランガを脅迫しているとラージャーに嘘の報告をする。それを聞いたラージャーは事実を確認もせず、ムトゥを屋敷から追い払うのだった。
 ラージャーがムトゥを追い出したことを知ったラージャーの母シヴァガーミは、烈火のごとく激怒した。そして、彼女は、ムトゥの出生と屋敷の過去にまつわる驚くべき秘密を語り始めるのだった…。ムトゥ、ランガ、ラージャーの三角関係の行方は? 伯父による乗っ取り計画の顛末は? やがて想像を絶する波乱万丈の物語は、アッと驚くウルトラ・ハッピー・エンディングを迎えることになる。
1998年6月13日、当時、渋谷カルチャーの流行の最先端を担い、ミニシアターブームの金字塔的存在だったシネマライズ単館でスタートした本作は、同館で23週におよぶロングラン上映となり、興収2億800万円をあげて、この年のミニシアター興行ランキング第1位を記録。老若男女が連日劇場前に長蛇の列を作る様子が次々とワイドショーやニュースで取上げられて話題となりました。その後、全国100ヶ所以上の劇場で上映され、動員約25万人、総興収4億円を突破。20年を経た現在も日本公開インド映画歴代1位の記録は未だ塗り替えられていません。

VHS、LD、DVDといったビデオソフトの総売上げ本数も6万本(枚)を超え、リアルタイムで本作を観ていない世代の映画ファンにも、今なおマサラムービーの教本的存在とされています。

芸能界に及ぼした影響も大きく、公開翌年のCX系「新春かくし芸大会’99」ではお笑い芸人の山口智充主演で「踊るカレー屋マハラジャ」が披露され、NTV系「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」では、番組の企画から南々見狂也(南原清隆)主演、大森一樹監督の全編インド・ロケ映画『ナトゥ 踊る!ニンジャ伝説』(’99)が製作、劇場公開されるまでに至り、その後も「マツケンサンバ」で大ブレイクした俳優・松平健がインド映画にインスパイアされた楽曲として2011年に「マツケン・マハラジャ」をリリースするなど、そのインパクトは計り知れません。

映画公開後には、インドへの観光客が(一説には5倍に増えたといわれるほど)倍増。合同酒精の缶チューハイ「Hi-Boy」はじめ本作にインスパイアされたCMが数多く制作された他、東ハトのスナック菓子「ガラムマサラ」等のタイアップ商品も誕生し、それまで日本には数少なかった南インド料理店が激増するなど、本作は、映画ファンを魅了しただけでなく、日本の文化に多大な影響を与え、その熱狂ぶりはNEWSWEEK誌の記事でも報道されました。
“スーパースター”ラジニカーント
(ムトゥ/地主役)

1950年12月12日カルナータカ州バンガロール生まれ。もとはバンガロールのバスの名物車掌。マドラス映画学校で演技を学び、75年に本作のプレゼンターでもあるタミル映画界の巨匠K.バーラチャンダルの監督作“APOORVA RAAGANGAL”で映画デビューを果たした。以後、タミル語、テルグ語、カンナダ語、マラヤーラム語をまたにかけ南インド各地の映画界で活躍。当初は個性的な悪役が多かったが、78年の“BAIRAVI”で初主演、80年“BILLA”の大ヒットでトップスターの座を不動のものにした。83年にはヒンディー語映画“ANDHA KANOON”に初主演、同作は全インド的に大ヒットとなった。88年には『インディアナ・アドベンチャー/ブラッドストーンの謎』でハリウッド映画にも出演。80年代は年間10本近くの主演作を撮っていたが、90年代以降には作品を厳選、“スーパースター”の称号でほぼすべての主演作を大ヒットさせているインド映画界の伝説。主演作は150本を超える。98年に『ムトゥ 踊るマハラジャ』(95)が日本で大ヒットし、日本で最も有名なインド人スターとなった。昨年12月31日に政界進出と新党結成を表明し、日本でも大きく報道された。最新作は今年11月29日にインドはじめ全世界で公開される『ロボット』の続編でインド映画史上最大の製作費をかけた話題の超大作“2.0”。
ミーナ
(ランガナーヤキ)

1976年9月16日タミル・ナードゥ州マドラス(現チェンナイ)生まれ。82年にタミル語映画“NENJANGAL”で子役としてデビュー。同年の“ENKEYO KETTA KURAL”ではラジニカーントの娘役を演じるなど、人気子役として45本の映画に出演の傍ら、インドの伝統舞踊を学んだ。90年にテルグ語映画“NAVAYUGAM”で初めてヒロインを演じ、91年のタミル語映画“EN RASAVIN MANASILE” が大ヒットしてスター女優となった。93年の『ヤジャマン 踊るマハラジャ2』ではラジニカーントとヒロインとして再共演を果たし、タミル・ナードゥ州映画賞最優秀女優賞を受賞。ラジニカーントとは続けて『ヴィーラ~踊る ONE MORE NIGHT!』(94)、『ムトゥ 踊るマハラジャ』(95)で共演した。その後も南インドのトップ女優としてタミル語、テルグ語、カンナダ語、マラヤーラム語の映画、TVで幅広く活躍。ラジニカーントとは08年の“KUSELAN”でも共演している。09年6月12日にソフトウェアエンジニアのヴィディアサガール氏と結婚、娘のナイニカーは15年にマラヤーラム語映画“BHASKAR THE RASCAL”で子役デビュー。タミル映画界の大スター、ヴィジャイ主演のタミル語映画『テリ~スパーク~』(16)ではヴィジャイの娘役を演じ好評を博した。
K.S.ラヴィクマール
(監督・脚本・台詞)

1958年5月30日生まれ。大学で経済学を学んだ後、映画界入り。90年にタミル語の犯罪スリラー映画“PURIYAADHA PUDHIR”で監督デビュー。同作が評判となってタミル映画界のトップスターの一人サラット・クマール主演の“CHERAN PANDIYAN”(91) の監督を任されて成功させるなど、一躍新進気鋭の監督として注目され、94年の“NATTAMAI”ではタミル・ナードゥ映画賞最優秀監督賞を受賞した。95年、ラジニカーント主演作『ムトゥ 踊るマハラジャ』に抜擢され、これも大成功に導くと南インドのヒットメイカーとしてカマラ・ハーサン、チランジーヴィ、ヴィジャイ、スーリヤなどの大スターの主演映画を次々と監督するようになる。ラジニカーントとは99年の『パダヤッパ いつでも俺はマジだぜ!』と14年の『Lingaa リンガー』でも組んでいる。
A.R.ラフマーン
(音楽)

1966年1月6日タミル・ナードゥ州チェンナイ生まれ。父のR.K.シェカールはインド初のシンセサイザー奏者でマラヤーラム語映画の音楽などを担当していたが、ラフマーンが9歳のときに急逝。ラフマーンは11歳からキーボード奏者として働き、数多くの著名な映画音楽作曲家たちのもとでスタジオ・ミュージシャンとして活動した。テレビ番組やCMの音楽担当を経て、92年に本作の製作会社カヴィターラヤー・プロダクションズ製作、マニラトナム監督の『ロージャー』で初めて映画音楽を担当して大きな話題となる。その後、本作『ムトゥ 踊るマハラジャ』(95)、『インディラ』(95)、『ボンベイ』(95)、『ジーンズ/世界は2人のために』(98)、『パダヤッパ いつも俺はマジだぜ!』(99)などタミル語映画の話題作の映画音楽を次々に手がけ、ヒンディー語映画界にも進出して『ラガーン』(01・未)などで高い評価を得て全インド的に最も人気のある映画音楽家となった。02年にはアンドリュー・ロイド・ウェバー製作のミュージカル「ボンベイ・ドリームス」の音楽を担当、全世界で話題となった。その後、中国映画『ヘブン・アンド・アース』(03)、ハリウッド映画『エリザベス:ゴールデン・エイジ』(07)などインド以外の世界中から映画音楽担当の依頼が殺到、ダニー・ボイル監督の『スラムドッグ$ミリオネア』(09)ではゴールデングローブ賞作曲賞、第81回アカデミー賞作曲賞、歌曲賞を受賞、続くボイル監督の『127時間』(10)、『マダム・マロリーと魔法のスパイス』(14)、『ミリオンダラー・アーム』(14)、『ペレ 伝説の誕生』(16)、『英国総督 最後の家』(17)など幅広く活躍。インド映画の話題作への音楽提供も積極的に続けており、今世界でも最も忙しいミュージシャンの一人となっている。彼の最新作はカヴィターラヤー・プロダクションズ製作によるアマゾン・プライムの音楽ドキュメンタリーのミニ・シリーズ“HARMONY WITH A.R.RAHMAN”(18)。その他の音楽担当作には『ディル・セ 心から』(98)、『ボス その男シヴァージ』(07)、『ロボット』(10)、『命ある限り』(12)、『マジック』(17)などがある。

サイン入りポスター☆プレゼント当選者のお知らせ

厳選な抽選の結果、下記3名様が当選されましたので、
“スーパースター”ラジニカーントのサイン入りポスターを進呈させていただきます。

  • アキモト ワカ 様(東京都)
  • タカハシ ミキ 様(長野県)
  • シムラ トモコ 様(滋賀県)